審判読了

2011年6月18日 日常
最初の数ページを読んで、どうもピンと来なくて放置していたディック・フランシス(とその息子のフェリックス・フランシスの共著)の審判を読了した。
いやー、最初はちょっとアレかと思ってたけど、後半はやっぱり面白かった。
途中からネタは割れてくるんだが、最後のタタタンッと叩き込むような法廷のシーンは小気味よかった。
しかし粗筋だけ読むと、ぎゃ9の2-4みたいである。2-4と違うのは、主人公である弁護士が正体不明の脅迫者から受ける要求が「裁判に負けること」ぐらいか。
後、たまにちょっと文章が分かりにくい。最近活字をほとんど読まない(新聞も読んでない)ので自分の読解力(最初変換したら毒カ威力って出た。IME2010はクソすぎるな)がメタメタなせいもあるかもしれんが、例えばp211~212からの引用

"ボックス席は、のちに世界最大の障害競走馬フェスティバルの優勝馬に向かって親しみのこもった歓声を上げる何万人もの競馬ファンを収容することになる巨大なグランドスタンドの最上階にある。"

一読して、意味が分からん。
ボックス席が巨大なグランドスタンドの最上階にあることはわかる。
また、"のちに~収容することになる"が巨大なグランドスタンドに掛かっているのも一応わかる。
でも
"のちに世界最大の障害競走馬フェスティバルの優勝馬に向かって親しみのこもった歓声を上げる何万人もの競馬ファンを収容することになる"
が、何を言ってるのかは、3回ぐらい読み返さないとよくわからんかった。
この文章が出てくるのはレースが始まる前なので、「レース後に優勝馬に向かって歓声を上げる多数の競馬ファンが埋め尽くすことになる(グランドスタンド)」といいたいのだろうが、いかにも英文直翻訳的表現な気がする。原文では一文なのかもしれないが、日本語表現的にはもうちょっと文章途中で切ってわかりやすく整理した方がいいんじゃないか?

思い返せば「一文が長すぎて、何を言っているのかわからない」というのは、入社して私が最初に作成した検討報告書を一読した上司の第一声であった。三つ子の魂百までというが、今もってその悪癖から逃れられていない。うっかりすると句点がない文章が3~4行続いたりする。一文が長文で文意が不明瞭になる弊害を避けようと、やたら読点を入れると、今度はぶつ切りが酷くてかえって読みにくかったりする。報告書だけでなくプレゼンでもそうなのだが、簡単平易明瞭でシンプルな表現で手短に物事を説明できるスキルには感服する。今日久しぶりに会社上層部にプレゼンする機会があったが(上司が出張中で、翌週に持ちこせないぐらい切羽詰まった案件だったので)、己のスキルの無さに愕然とした。
整理されていない脳からは、整理されていない言葉しか出てこない。
私の脳内は、オフィスの自分の机や自宅の私室と同様に混沌と呼ぶにふさわしいカオスぶりである。
整理整頓、なかなか難しい。

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