香港行 9

2011年11月14日 旅行
香港行 9
香港行 9
香港行 9
最終日は、糖朝で朝ごはんを食べた後、ホテルに戻って荷造りし、昼前にウォーターフロントの香港芸術館(美術館?)近くの店(るるぶに載ってる)で飯を食った。動物を模した可愛い点心が姐さんの心にhitした模様。画像3点はその料理の写真である。1枚目は針鼠を模した揚げ饅頭系点心、2枚目は腸粉。腸といってもモツではない。形状が腸に似ているが、米粉のラビオリみたいなもんである。つるつるもちもちとした食感が楽しい。3枚目は小豆が入ったココナッツミルク系のデザート。これも美味しかった。

レストランの傍の芸術館(美術館)では、幻獣美術展(龍とか麒麟とか、中国絵画で描かれてきた想像上の動物をテーマに集めた展示)をやっているようで、時間があれば見たかったのだが、生憎時間がなかった。
ホテルに駆け足で戻って、荷物を持ってピックアップ場所に移動。送迎バスに乗り込んで空港へ向かった。
たった2泊3日とはいえ、普段刺激の少ない人生を生きているので結構疲れた。とくに夜に一人じゃないというのとネット環境から隔絶された点がかなり疲れた。御独りさま大好きっこにとって、一人の時間がないというのはかなり苦痛だ。家族含めて他人と2泊以上旅行するのは久しぶりだが、こんなに疲れるものだとは…

帰りのバスはいろんなホテルに寄ってツアー客をピックアップしてから空港に向かった。空港までの道行、同行者と話す気分じゃなかったのでMP3プレーヤーで音楽を聞いた。My MP3の中身は97%ボカロ曲である。
普段慣れ親しんだ、ボカロの揺らぎのないメカニカルボイスに激しく癒された。
旅は楽しい。海外は一人じゃヘタレなので行けないので、こういうお誘いの機会があるのは幸いである。
でも、楽しいのと疲れるのは別である。旅の最後にいささか疲労した脳に流し込まれた慣れ親しんだ音楽は、脳天に響くような高揚と郷愁を齎した。
10/30(日)夜、セントレアに降り立ち、日常への回帰を果たす。




香港行8

2011年11月14日 旅行
香港行8
香港行8
香港行8
ここから先は、飯の写真しか撮ってない。

オプショナルツアー終了後、夕食予定のレストランが入った商業ビルに18:30に姐さんと待ち合わせである。
ツアー解散は16時だったのでかなり時間がある。嬢と二人でしばらくネイザンロード周辺をフラフラすることにした。
最初は「女人街でも行こうかー」とか言っていたが、地図を見誤ってネイザンロードを徒歩で北上した。途中で距離的に無理と悟って引き換えし、テンプルロードで出店を冷やかしてから合流予定の商業ビルに時間ピッタリで到着。姐さんと無事合流して店に。

初日のレストランほど寒くはなかったが、はやり空調が効いている。初日の夜に買ったウールのショールのような何かがここで活躍した。
ここの夕食は食べるのに夢中になっていて最後のデザートの焼きプリンしか撮ってない(画像1枚目)ので、既に2週間経過している現在、何を食べたかあまり記憶がない。あ、そうそう、フカヒレの姿煮食べた。あと、燕の巣のスープとか、蟹爪フライとか。メニューに「日本産トマトのなんとかかんとか」というメニューがあって、思わず頼んでしまった。そういえば、海外でああいう甘いトマトって食べたことない。あれは海外ではブランドになるのか。どういう料理だったかは記憶にないが、美味しかったのは記憶している。後、大根餅的何か(普通の大根餅とは段違いに旨かったが)が非常にナイスであった。

食後、スーパーマーケットに寄って土産物(マンゴー味のコロンとか、ふかひれスープ味のプリッツとか、中華テイストの出前一丁とか、雛蛋巻(エッグロール)とか)を購入。
その後、予約してあったマッサージ店へ。

1時間半近く、全身(主に背中)を足踏みマッサージとか、足裏マッサージとかで揉み揉みしてもらう。強からず弱からず、絶妙な施術で揉み返しもなく上手かった。

マッサージ後、ホテルに戻って就寝で2日目終了。


10/30(日)3日目(最終日、帰国日)
朝食は糖朝へ。
私は五目粥とマンゴーココナッツタピオカっぽい食べ物(詳細はなにぶん2週間前のことなので忘れた)を注文。
五目粥が画像2枚目。マンゴー以下略が3枚目。
マンゴー略も旨かったが、なにより粥に大満足。五目、というか色々入っている。肉団子とかモツとか豚肉とか。モツについてはちょっと臭み的な意味で危惧はあったが、まったく気にならなかった。ああ、粥のためだけにでももう一度香港に行きたい。いや、中華粥の作り方をマスターすべきか。

香港行7

2011年11月13日 旅行
香港行7
香港行7
香港行7
2日目のオプショナルツアーの最後

2階建てトラム乗車体験の後は、香港コンベンション&エキシビジョンセンター横の広場にある、金紫荊花像を見学して解散である。
正直、金紫荊花の像(画像1)は、日本人が見てもなんもおもろない代物である。
中国人には人気のスポット、というか中国人の香港観光的には必ず組み込まれている目玉の場所だとか。
なんとなれば。この金紫荊像は香港の中国返還時に送られた、香港返還の象徴だからである。現在、香港は中国に帰属する都市であるので、国旗は中国旗になるわけだが、国旗とは別に、地域旗というものを持っている。
香港は中国でありながら中国そのものではない。その成り立ちの特殊性と経済的繁栄故に一国二制度、中国本土とは異なる行政システムを持ち、かなり自治権を付与された特別行政地区となっている。
「私たちのことは中国人とは呼ばないでください。私たちは香港人です。中国人ではなく香港人であることに誇りを持って居ます」とは、ガイド氏の言である。
現在は中国に帰属しながら、完全に中国に同化することを潔しとしない香港人の地域旗は、赤地に5枚の花弁を持つ花である。この花が紫荊花である。紫荊花は、言わば中国ではない香港の象徴でもある。
そして、金色=永遠に枯れない、紫荊花=香港。つまり、この像は香港の永久の繁栄を意味する像である。
金紫荊花の像の画像が1枚目。リアル紫荊の花が画像2枚目である。
しかし、今本稿を書くにあたってwikiの香港の項を見てみたが、

>社会主義国である中華人民共和国の中で2047年まで資本主義システムを継続
>して採用されることになっている。

2047年。後30年以上先の話である。この時まで中共が存在しているのか、もっと別の体制に移行している可能性もあるかもしれんが。2047年に香港の資本主義システムが終了し、完全に共産主義に飲み込まれた場合、香港という稀有の銘花は枯れずに永遠の繁栄を謳歌できるのだろうか。
まぁ、その頃の日本は超高齢化社会で年金制度もずたずた、私は生きていれば76歳代。今のペースで年金受給年数が繰り上がっていけば年金受給年齢にすら達していないかもしれない。貯蓄も底をつき、スズメの涙の年金も貰えず2047年には露頭に迷って路傍の露と消えており、香港の行く末など知る由もないかもしれんが。

あ、あとガイド氏からツアー中に聞いた話で書き忘れたが、香港は地域的に広東語圏である。しかし中国返還後、北京語の習得圧力が強まっているらしい。
ガイド氏の知り合いは教師とのことだが、教師含め公職にあるものは「5年以内に北京語をマスターしないと公職クビだよ?」通達が来て、必死こいて勉強したとのこと。今の香港では北京語できないと上に上がれないので、教育の場で英語より北京語が重視されるため、英語力が下がってきているらしい。
言語は文化そのものである。
2047年を待たず、着々と同化政策進行中、といったところか。

話を戻す。
この金紫荊花の像がある返還広場で、ソフトクリームの屋台(というか、バン)があったので買ってみた……これ、乳脂肪じゃない油、入ってませんか的味なんだが。良くてショートニング。悪ければ何かわからん系。なんだか胃もたれとむかつきがハンパないです。まぁ、その後とりあえず何事もなかったけど。
海外での買い食いは慎重に。

そしてツアー終了後。
スターフェリーに乗って半島に帰還した。3枚目の画像はフェリーからの風景。
フェリーから香港島側を撮影した。フェリー乗り場一帯で大掛かりな工事が行われていた。何か建つのかな。

半島側のフェリー乗り場に到着。フェリー乗り場の柱にエグイ写真つきのビラが貼られており、またなんか座禅組んでる女性がいた。ビラは中国語だが、繁体字なので、ところどころ何となくはわかる。
ちなみに中国は簡体字だが、香港は台湾と同じ繁体字である。
で、その座禅の人は、どうやら法輪功の人で、ビラは当局による拷問などの法輪功弾圧を世論に訴える内容のようだ。一瞬、写真を撮ろうと思ったが、「どっかの柱の陰から中共の犬が監視していて、うっかり写真なんぞ撮ったらマークされちゃったりして」とか、ありえん恐怖に駆られていたら撮り損なってしまった。
フェリー乗り場にアジビラ張ることを許しておいて、監視とかそんな馬鹿なことはないんだろうが、人治主義の国は何が起こるかわからんからへたれた。

香港行6

2011年11月13日 旅行
香港行6
香港行6
香港行6
スタンレーマーケットを後にし、二階建てトラム乗車体験(画像1枚目)。
高いところから見下ろしながら移動するのはテンションがあがる。
トラムもそうだが、普通の市内バスでも香港は基本2階建てである。輸送能力を考えたら合理的なんだろうが、2階に上がる階段はかなり急かつ狭いので、ボーッとしてると転がり落ちそうだ。はしっこい香港人はそんな愚は侵さないのかもしれんが。少なくとも老人は無理っぽ。
そういえば、ガイド氏によると、香港は9F以下の建物にはエレベーターをつける義務はないとのこと。商用ビルなら利便性ゆえエスカレーターなりエレベーターなりついているだろうが、マンションなんかだと…推して知るべし。
8F建マンションに住む老人は、建物の外に出る度に自分の足で8Fまで上がることになる。これは大変だ。太極拳でもして足腰鍛えてないと、おちおち買い物にも出かけられない(出かけることはできても帰れない)。
しかし、今調べてみたら日本でもエレベーター設置義務6F以上から。あんま変わらんか。

あと、香港は金ぴか壮麗な超高層ビルがズバンズバンと立ちまくっているが、外から眺めて楽しむ上での超個人的好みでいえば、もうちょっと建築後十数年たったような生活感溢れる建物の方が好きだ。なんというか、哀愁があってよい。
2階建てトラムから撮影したそんな「生活感あるマンション」の画像が2と3
画像2の落としたら諦めるほかない洗濯物の干し方とか、なんかしみじみとしていて良い。画像3のマンションは、ちょっと年数がたって小汚いだけでそれほど生活感があるわけではないが、歳月による汚れとどことない荒涼感が、超個人的な話になるが、数年前に見た夢(極め付けに凶悪な悪夢)に出てきたホーンテッドマンションにそっくりだったので、思わず感動して撮影してしまった。

香港行5

2011年11月13日 旅行
香港行5
香港行5
香港行5
レパルスベイを後にし、途中高級住宅が立ち並ぶ山道をバスは行き、スタンレーへ。スタンレーは映画「慕情」の舞台で…とか説明があったが、その映画見てないからわかんない。
スタンレーではマーケット探索。ガイド氏は「子供服とかは比較的安い。あと、基本的にここは値引きはしないので」とのことであった。しかし子供服とか要らんし。ということで色々見て回る。画像1、2はマーケットの写真である。
リネンのショップがちょっと気になった。リネンのシーツとか夏涼しそうだよなぁ。服とかは安いのはそれなりの品で、日常で使えそうな小洒落た感じのは日本のデパートで買うのとそんなに値段違わなかった。後、風景画とか小物雑貨も売っていたが、全く同じものや似たようなものを、この日の夜に半島側の夜店(九龍公園の北側のテンプルストリートあたりをうろついてた時)に7掛けか半額程度の値段で見かけた。スタンレーマーケットは、まぁ、観光地価格なんだろう。あと、ガイド氏は値引きできないと言っていたが、ビールをゴチになった年配男性はヒスイのストラップを価格交渉して値引き購入したとのこと。
結局、マーケットでは何も買わず、マーケットの近くのドラックストアで清涼飲料水を購入(画像3)。
東南アジアの清涼飲料水というとハンパない甘さの印象があるが、これはレモン風味とオリエンタルハーブ(成分表見たら菊花とかライト漢方っぽい成分が書いてあった)のすっきりした味わいで、中々美味しいのではないかと思った。

香港行4

2011年11月13日 旅行
香港行4
香港行4
香港行4
ビクトリアピークにはトラムで登ったが、降りるときは普通にバスで下りた。
次はアバディーンでサイバン船に乗って水上生活者のお家拝見ツアーである。
お家拝見といっても、突撃隣の晩御飯のように「おじゃましまーす」するわけではなく、サイバン船という8畳間ぐらいの丸っこい小型船(屋根付き)に乗って、水上生活者の暮らす住居船が停泊している付近まで行って遠目にウォッチングしちゃうよーというようなツアー内容である。
プライバシーとか、ええんか? と思わんでもないが、観光客を詰め込んだサイバン船を操ってるおばちゃんたち自身が他ならぬ水上生活者なので無問題なのか。水上生活者の暮らす住居船は、立派なキッチンや衛星TV受信アンテナを備えたものもあり、日当たり良いデッキに椅子なんかあったりして海が凪いでる時は中々快適そうであった。しかし台風のときとかどうするんだろう。とこかに避難するのか。あと移動可能な住居に住んでる住人って住民税はどこの自治体に払ってるんだろうとか思ったが、今調べたら香港は住民税無いみたいっすね(税金は安いが福祉もないっと)。

サイバン船に揺られてアバディーン湾を観光した後、一旦半島側に戻って飲茶ランチである。ここでノーマルコースと、アップグレードコースで店が分かれるのだが、「せっかくだし、いいもん食おうぜ」ということでアップグレードバージョンにしたら、日航ホテルのレストランでした。普通の飲茶的メニュー以外に椎茸の炒め物とかエビチリとか出てきて美味しゅうございました。
あと、オプショナルツアーは4~6組ぐらいの参加者で回っていたのだが、アップグレードコースにしたのは我々2名の他に、もう1組(年配の男性と妙齢の女性)の2組だけであった。最初は別々の席の予定だったようだが、年配男性が窓側の席を所望し、「4人で1テーブルで良ければ窓席OK」ということで、同じ同席することとなった。料理の代金はツアー代で先払いしてあったが、酒を注文した場合は別途支払いとなる。料理の前に酒を飲むかを店員が効きに来たとき、最初は「あ、えっと、要りません」と断った。私と嬢は普段は飲む方だが、真昼間だし、支払とかめんどくさそうだし、ということで茶だけで済ます予定だったが、年配男性が「おごりますので一緒に飲みませんか」ということでゴチになってしまった。年齢的組み合わせから、いささか下種の勘繰りをしていたのだが、妙齢の女性は年配男性の御嬢さんだとか、いや、本当に失礼。
なんでも商用で広州交易会に行った帰りに香港に観光に寄ったとのこと。
話を聞いているときは「こーしゅーこうえきかい」がなんなのか知らなかったが、今ぐぐってみたら
http://www.nicchu.co.jp/koekikai/koekikai_02.html

>広州交易会は中国政府・対外貿易経済合作部が主催し、
>全国から選ばれた企業が参加する中国最大の総合輸出商品商談会です。

ちなみに会場は

>広州交易会 琶洲(わしゅう)会場 (広州市海珠区新港東路)
>15K㎡ 7500ブース規模

この15km2が延べ床面積なのか敷地面積なのかわからんが、延べ床面積だと仮定して。ちなみにビックサイトの延床面積は0.23km2である。ビックサイト65個分? 計算間違ってる? 延床じゃなくて敷地面積なのか? まぁ中国おっきいからビックサイト65個分の国際展示場があっても驚かんが。
2009年の参加人数は188,170人。5日×3週の15日開催で約19万人か。コミケ一般参加は15~25万人/日だから、数年前まであの戦場に数回参戦した経験者から見れば、かなりゆったりした空間であろうと想像できる。商用ブースだからミケのスペサイズよりはブース面積取ってるだろうけど。

で、丁度今秋の第二期が10/23~27だったので、終了して香港観光となったらこのタイミングだったわけである。そういえば一緒に一日観光してるオプショナルツアーの中にも、スーツの男性3人組とか明らかに『ビジネス帰りにちょっと観光に寄りました』風なグループが他にもいた。彼らも広州交易会帰りだったのかもしれん。

閑話休題。
ビールをごちになり、飲茶ランチを終えて午後の観光へ。
またバスに乗り、再びトンネルをくぐって香港島へ。つーか店も香港島側にすれば半島と島を行ったり来たりしなくてもいいのに。
午後イチは香港島の裏側(大陸寄りじゃなくて外海側。昼前のアバディーンもこっち側)のレパルスベイへ。
2枚目の画像は、レパルスベイの天后廟の天后像。天后は海の神(航海、漁業の神)である。日本で言う宗像三女神のようなものか?
現地でガイド氏は「天后は実在の人物で、超能力で信仰を集め、28才で亡くなって神さまになりました」というてました。それを聞いたときは
 超能力少女…明日香か? マミか? 
とか思ってしまった。今ググってみたが、wikiによると媽祖(天后聖母)も前身は人であった神のようだ。

>媽祖は宋代に実在した官吏の娘、黙娘が神となったものであるとされている。
>黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。
>幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人
>の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳
>の時に父が海難に遭い行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、
>その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっている。

しかし、学問や武術の神の前身が人であるというのは、学問も武術も人の技術であるので頷けるが、人が航海安全の神になるというのはちょっと不思議な気がした。天后(媽祖)の前身の超能力(神通力)が海に関するものならともかく、村人治癒とかだし。人が神になりうる、人と神が近い道教思想の関係だろうか。

あと、ガイド氏がぽろっと零した「以前、ここに幽霊が出ました」という一言が、オカネタ大好きな私的には非常にkwskしたいところであったが、集合時間が来てバスに乗り込んでしまったので聞き逃した。

天后廟は他にも色々魚やら龍やら像があるのだが、基本、全部極彩色でかなりキッチュな空間であった。撫でるとご利益があるとかで、撫で繰り回されてつるつるになっている像もあった。縁結びの像や長寿の像はスルーし、金運の像をなでなでしてきました。金が無いんは首が無いのとおんなじやでー

画像3枚目は天后廟のすぐ横のビーチ。まったりいい感じの浜辺であった。

レパルスベイから次はスタンレーに行くのだが、その道中の山の斜面の小高いあたり一帯は高級住宅街で、ジャッキーチェンの家の前も通った。
「あの白亜の建物はアグネスチャンの家です」
児ポ関連や日本ユニセフ関連で2chでは何かとよく叩かれるアグネスさん……日本の金ぴかの豪邸だけじゃなくて、香港にも高級住宅をお持ちでしたか。

香港行3

2011年11月13日 旅行
香港行3
香港行3
香港行3
10/29(土)2日目。一日観光のオプショナルツアーに行くの巻

文武廟参拝の後、ピークトラムでビクトリアピーク登頂を果たした。画像1枚目はトラムからの写真。窓の外の建物の屋根の水平と窓枠から、トラムが登っている勾配を察していただきたい。休日ゆえか良い時間帯なせいか、結構混んでいてトラム内には椅子に座れず通路に立っている人もいたが、トラムが急こう配を登っているので床に対してすごい前傾姿勢で立っていた。椅子に座っている我々も、体重が尻太ももではなく腰背中から背もたれ方向のベクトルに掛かっているのを感じた。

頂上駅に到着。ちょっと歩いて展望スポットに到着(画像2)。
前日の夜に海の傍から見上げた夜景のビル群を、だいたい裏側から見た図となる。写真だと「あー高層ビルがいっぱいあるのねー」程度の感慨しかわかないが、実際にはこんな感じのビルがもっとぶわーと広がっていて、パネェ感じである。海を挟んで半島側も雨後の竹の子のように超高層ビルが天を突いている。
「地震の無い国って、いいなぁ」
と、ぼんやりと思う。いや、地震はないかもしれんが、あれだけ高いと最上階とか台風来ると結構揺れるんじゃないのか?
天気にも恵まれて素晴らしい眺望であった。しかし、どうもぼんやりとかすんでいる。前日も晴れていたが、やはり微妙にけぶっていて遠くがかすんでいた。
ガイド氏に聞くと、大陸からの粉塵とのこと。夏場は海から風が吹くが、冬は大陸から風が来るので…まぁ、そういうことになる。あと、香港の電気の大半は石炭らしいので、石炭火力発電の影響かもしれませんねーと言っていた。
ビクトリアピークの展望スポットの入口に竹が植わっているのだが、そこにアルファベットや漢字(簡体字だったり繁体字だったり)で色々落書き(というか落彫り?)がしてあった。その中に日本人と思われる名前があった。観光地で名前を落書きするようなDQN行為は好まざるところなので、晒す。どこのだれかは知らんが、岩崎恒雄氏には海外で浮かれて恥をさらしたことを反省していただきたい。

香港行 2

2011年11月12日 旅行
香港行 2
香港行 2
香港行 2
午後に現地到着し、冷房効き杉の極寒レストランで晩飯を食ったのち。
レストランの入った建物の横はすぐ海で、対岸に半島が、正面に香港島の高層建築物が見えるロケーションであった。
夜景を眺めながら、シンフォニーオブライツが始まる20時を待つ。
シンフォニーオブライツとは、20:00から13分間、半島と島の両側のビルの電飾やサーチライトが音楽に合わせてmovingする照明ショーである。
基本毎日開催。台風が来たときや旧正月以外は休まずやってるらしい。さすが観光都市。たった13分とはいえ、電気代もかなりかかるらしい。協賛企業の広告費で賄っているらしいが。
ほへ~と13分見入る。メイン高層建築はかなり参加しているが、もちろんすべての一般ビルが参加しているわけではない。また海を挟んで香港島と半島と開催地が分かれている。また、香港島はもともと昔からぎゅうぎゅうに高層ビルが密集していたが、半島側は旧空港が廃止になって建物の高さ規制が解除されてから徐々に高層ビル化が進んだり、埋め立てでウォーターフロントに高層ビルが点在していることもあって島側より若干高層ビルの密度が薄い。そんなわけで、サーチライトがグルングルんしていたり、ビルの側面を光の色模様が波打ち駆け上がったりと中々派手ではあるが、密度感はそれほどでもない。
ただ、ショーが無くてもビル群の夜景はハンパないので、海沿いからボーっと眺め見上げるのは中々良いものであった。
画像1は香港島側の夜景。半島側の写真は取り忘れた。

夜景観賞ののち、ホテルに帰還。渋滞が酷かった。香港島側は官公庁やビジネス街がメインである。マンションの類もあるが、住居としては半島側の方が多いようで、丁度香港島にあるレストランから半島側のホテルの道はラッシュアワーのまっただ中であった。平日だしなー
9時か10時にホテルに戻った。3人部屋なので順番に風呂に入っていると時間もかかるし、一番語学力的に頼りになる姐さんは酒が1滴も飲めないタイプなので、「バーでいっぱいやりますか」という流れにもならなかった。
そのまま就寝モードな雰囲気であったが、その日の極寒レストランで身も心もガチガチに凍てつき震え上がった私は、身にまとうものを探しに出ることにした。
といっても、ネイザンロードだの女人街まで一人で繰り出す度胸はなく。ホテルの近場をうろつき、服屋発見。1軒目はちょっと入って眺めてたら店員がすぐさま寄ってきて中国語でバーッと話しかけられ、「あーうー」してたら英語に切り替えてバーッと話しかけてきた。英語ということはわかったが、さっぱりわからん。いや、サイズがどうとか色がどうとか言ってるのはわかったが、何をどう返せばわからん。うろたえまくって
「じ、じゃすと るっきんぐ! 」
店員は、チッと舌打ちして奥へ戻って行った。…いや、気に入ったら買うかもしれんし、舌打ちとかすんなお。香港人こあいお
ここで心が折れそうになったが、2日目も姐さんがちょっと高級っぽい飯屋の予約を入れていたので、また冷房地獄に泣きをみることは確定だった。正直、香港には飯を食いに来たといっても過言ではないので、せっかくのお高い料理なのに冷房のせいで飯の味がわからんぐらいgkbrというのは非常に悔しい。
よって、くじけず次の店に行ってみた。
2軒目は打って変わって放置状態であった。一緒に店にいった嬢とあれこれ見て、羽織ってみたりとかしても店員寄りつくところが、そもそも店内に店員がいるのかもわからん(店の構造がL字型で、奥の方に人が居そうな気配はあったが出てこない)。そこでゆっくり検討。デザインとか見栄えは度外視し、ただ「暖かい」という点を最重要選定項目とした結果、ショールのようなストールのようなカーデガンのような、よくわからん形状だがウールでとにかく暖かい代物を購入した。そこで購入する際も、手にブツを持って店の奥に行って店員を捕まえたのはいいが、なんか早口で話しかけられて「あーうー」してたら、店員がちょっとイラッ☆とした感じで「This one?」と言ってきたので「でぃすわん、でぃすわん」阿呆のようにコクコク頷いて無事購入できた。
しかし結構高かった。日本円で5~6000円だけど、嬢に「これ、日本なら1~2000ぐらいで買えるんじゃ」とか言われてちょっと凹んだ。
まぁ、いい。香港滞在中に凍えず飯が食えればいいんだ…いいんだ……

ホテルに戻ってその日のミッション終了。しかし、嬢が(まぁ、同期だが学卒なので年下ではあるが、リアル年齢は嬢という年でもないのだが)夜、ベッドに寝ころびながらTVを見るのには閉口した。
TVを見る習慣がないし、明るかったり音が出ている環境では眠くても寝付けないのでちょっとイライラした。
が、そんなこんなではありながら気が付くと寝ていた。

10/29(土)
翌朝、起床5時前。前夜、いつになく早寝してしまったので眼が冴えてしまったのだ。仕方がないので、ライティング机の照明を絞って本を読んで時間を潰した。飛行機の中とこの朝の読書タイムで持参した宮部みゆきの「誰か」と「チヨ子」を読了。それはさておき、7時半に目覚ましが鳴って同行者起床。
2日目は2手に分かれる。当初のもくろみ通りブランドショップ巡りに萌える姐さんは、一人ぶらぶらショッピングタイム。「買い物は別にー」な嬢と私は1日観光のオプショナルツアーを入れていた。観光組の2人は朝早めに集合なので、朝食はホテルの朝食バイキングを利用した。
和洋中充実しており、よくあるシェフがその場で作ってくれるメニューも、卵料理だけでなく麺料理版もあった。各種の麺からお好みを選び、スープとトッピングを選んでMy麺を作ってくれるというもので、非常に心惹かれたので言語的な壁はあったがチャレンジしてみた。指差しとザパニーズスマイルで無事麺をゲット。その他、粥や点心も旨かった。洋コーナーのバゲットなどのハードパンやデニッシュ系も実にうまそうであったが、麺で腹がいっぱいになってしまったので断念。
充実した朝食を終え、嬢の支度が整うのを待ってツアーの集合場所までダッシュした。しかし女の身支度というものは実に時間がかかるものなのだなぁと嬢を見ていて思った。旅行先で気合が入っていたのかもしれんが、小一時間化粧していた。私には理解できん世界だ。まぁ、時間に間に合ったし個人の時間の使い方なんぞ自由だからどうでもいいが。

で、集合場所で他の参加者と一緒に小型バスに乗り込んで1日観光スタート。
今日のツアーのガイドさんは40~50才ぐらいの女性であった。
道中、香港アレコレ事情を語る語る。聞こうと思えば十分理解できる日本語であったが、やはりネイティブ日本語ではないのでボーッとしていると発音等で中々頭に入らない。しかし渋滞で車の動きも遅いので、車窓から外を眺めつつガイド氏の話に耳を傾ける。
そう、渋滞である。
昨日、レストラン&夜景のツアーの男性ガイド氏は「平日だから、この時間どうしても渋滞します」と言っていたが、今日は土曜日では?
「香港では、土曜は半日出勤の人、多いです」
ああ、昔のニポンの半ドン、みたなもんすか。そういえば自分が小学校の頃は土曜日は確かに半日だった。しかし中高の土曜日がどうたったかは全く覚えていない。中高も土曜半日だったような気がするが、どうだったかな。30年以上昔のことなど忘れた。
まぁ、それはともかく。土曜も出勤ですか。だから朝も渋滞と。納得。
道の途中で真新しくドデカイ高層建築(真ん中になぜか空間が開いている)を通った。これはマンションらしい。
ガイド氏「超高級マンション、いや、億ションですねー」
空き物件があるわけではないが、夜に見ると明かりがついている部屋は存外少ないらしい。というのも、大陸の中国人の金持ちが財テク代わりに購入して塩漬けにしているケースが多いので物件としては売れていても実際に住んでいる人はそれほどでもないとのこと。大陸の金持ちはハンパないからなぁ。
また、バスが駅の横を通った時、
ガイド氏「あと〇年(具体年数忘れた)したら、香港から上海(ひょっとしたら北京だったかも)に〇時間で着く高速鉄道ができます」
…高速鉄道って……あれか? 橋から落ちたら埋められちゃうやつ?と思ったが、黙って聞いていたら、
ガイド氏「でも、香港人はそんな鉄道に大金かけるより、福祉に力入れてもらいたいです」
とのこと。まぁ、これはこのガイド氏の私見ではあるが。中国は社会福祉が非常に…まぁ…アレらしい。早朝の公園で老人たちが太極拳に励んでいるのも、「お上は助けてくれないから、自助努力で自分の健康は自分で保つしかない」という理由もあるのだとか。
日本もこの先年金はどうなるかわからん(私らの世代はたぶんまともにもらえないんだろうなぁとは覚悟はしている)のだが、公的なセーフティーネットにはなから期待できない国に生きるということが、中国人のメンタリティ(シビアさや利己的な面)に影響を及ぼしているのではないかと思った。
自分は直接外国とかかわる仕事はしてないが、担当者を介して原材料の品質関係でアレコレ問い合わせをする機会はある。美味しい仕事には非常に協力的であるが、利益が減ると手のひらを返してケンモホロロ、的な対応はよくある。まぁ、これは中国に限ったことではないんだろうが、日本企業だとそれまでの付き合いがどうだとかもうちょっと湿っぽいやり取りがあるが、アッチはもう手のひらの返し方があからさまだなぁと思うことが無いでもない。

また話が脱線したが。
のろのろと海の下をくぐる地下トンネルを抜け、小型バスは半島から香港島に入る。
ビクトリア公園沿いの道を、これまた渋滞に巻き込まれながらゆっくりとバスは通る。
公園にやや浅黒く鼻の丸いポリネシア系の顔立ちの女性たちが集まり、芝生の上に車座になって座ってお茶したり話し込んだりしている。
ガイド氏によると「フィリピン人メイドです。週末はメイドはお休みなので、ああやって公園で集まって過ごします」とのこと。そりゃ休みだからといって店に入って遊んでたら本国に送金する金が溜まらんし、公園はタダなので休日は公園で同国人同士集まって過ごすわけね。ガイド氏いわく、今、〇年在住(何年かは聞いたけど忘れた)のメイドに永住権(?だったかな? 国籍だったか?これも忘れた)を与えるように法律を改正するよう外国人メイドがデモしたり社会運動を行っているとのこと。
ガイド氏「そうなったら最低賃金が上がります。私もメイドさん雇っているので困りますねー」とのこと。うーん、色々難しいっすね。
公園には、車座に談笑するメイドさんたちだけでなく、同国人と思われる浅黒い鼻の丸いポリネシアン系の若い男性も多く集まっていた。そりゃ、若いメイド多いし、同国人ならナンパには絶好のスポットだろうなぁ。車座メイド女子会だけでなく、向かい合って座ってお互いの髪など触りながら仲睦まじげにイチャイチャしている男女カポーなども見かけた。いやー青春ですな。

ぎっしりと詰まった建築物や狭い道を抜け、最初は文武廟へ(画像2,3)
文神と武神が祭られた寺である。武神は三国志の関羽で、まぁこれは横浜中華街にも廟があるし有名。文神の方は文昌帝君だが、これも関羽同様前身は人らしいが知らない。今ググってみた。

http://mabosis.blog132.fc2.com/blog-entry-16.html
>名前は「張亞子」といい、中国の晉時代「四川七曲山」というところに住んでいた。
>張亞子はとても親孝行な人であっただけでなく、知識が豊富な人だから、地元で学校の先生になった。
>そして、政府の官吏もした。
>しかし、悪い人に謀られ、武将に任命されてしまい、戦場で殺されてしまった。
>このことを知った中国の玉帝は張亞子をほめ、神様の地位を授け、今の「文昌帝君」になった。

とのこと。謀られて非業の死を遂げた後、学業の神に祭り上げられるというと、日本の菅原道真を想起させる経歴である。
学業の神さまであるので受験生(および、むしろ、その親がメインか)がお参りにくるスポットなのだとか。
とりあえず次回のTOIECで470点の壁を突破できますようにと線香を捧げて祈ってきた。

次項はピークトラムでビクトリアピークに昇ったの巻。


今日のトレーニング記録
ステッパー65分(6500ステップ)
腕立て30×2
ヒップレイズ50×2
クランチ50×2

根性がなくて3セットできなかった。まぁ、休日だし無理はしないのだ。

香港行 その1

2011年11月12日 旅行
香港行 その1
香港行 その1
香港行 その1
先月末10/28~10/30に香港に遊びに行ってきた。写真と雑感など。

出発前日10/27(木)
この旅行のそもそもの発案者は会社の先輩の姐さんである。昔はGWのたびに、もう一人私の同期の嬢と一緒に3人で海外行っていた。過去に行ったのはベガス、バリ、シンガポール、タイ、ベトナム、海外じゃない年もあったて伊豆の高級温泉旅館梯子旅行とか…うむ、実にスィーツ(笑)である。
しかし最近は会社の方針でGWが連休じゃなくてリアル暦通りの飛び石になったので、ここ数年は旅行にいっていない。
今回、色々合って懐に小銭が入ったので、姐さんが「円高だし、海外でブランドショッピングしたい! 韓国か香港あたり、どう?」ということで香港行きが決まった。
海外の飯や文物には興味が無くもないが、正直ブランドショッピングにはさっぱり興味がない。ブランドのバッグなど、ヴィトンの一番有名な柄のしかわからん。しまむらー兼ユニクロリストがブランドショップに行って何をしろというのか?
まぁ、そんなわけで、旅行前日とはいえテンションはごくごく普通であった。
そんなテンションなので、荷造りも適当である。
 たった2泊だし、これでいいっかー
いつもの出張用キャリーバッグに適当に服や下着を投げ込んで終了。
服については多少は考えた。
10月下旬の香港の気温は20~27℃。快適気温である。香港人が冷房マニアであることは前情報で知ってはいたが、まぁペライ長袖でもあればなんとかなるんじゃね? ということで基本Tシャツ、一応夏用薄手の長袖シャツも突っ込んで終了した。

…………この選択を、後で後悔することになる。


10/28(金)
家を出たとき、寒かった。この季節にさすがにTシャツ+薄手長袖シャツだけでは小寒い。
しかし、ここでこの時期いつも着ているブルゾンを着てしまうと、現地で持て余してしまう。我慢して薄着で空港に向かう電車に乗った。
バリバリ平日である。が、朝イチ電車なのでまだラッシュは始まっていなかった。ぽつぽつと車内を埋める人々はリーマン、リーウーマンばっか。うむ、平日である。
他人様が働いているときに遊びにいくのは実に気持ちがいい。メシウマである。お日様も輝いている。さ~んしゃい~んなのである。だんだんテンション上がってきた。
セントレアからキャセイで一路香港国際空港へ。
4時間ぐらいだったかな。時差で現地で時計を1時間戻したりしたのでどれくらい機内にいたのかどうか忘れた。
昼過ぎに現地に着いた。
飛行機の扉からボーディングブリッジに降り立ったときに感じたのは、ピリリと肌を刺す、冷気。
おかしい。機内の外気温表示は27℃だったのだが。
…これが香港の空調レベルというやつか。
ボーディングブリッジから空港ターミナルへ向かう。

話は変わるが、外国人が日本の空港に降り立ったときに感じる匂いは醤油の匂いであるらしい。そういえば東南アジア系の国にいったときに空港でエスニック系のスパイスの微薫を感じた記憶がある。臭気の出所はおおかた空港の建屋に入っている飲食店であろうが、「その国の空気にソウルフードの調味料香辛料の匂いが沁み込んでいる」というのは、なかなか面白い。
で、香港国際空港で感じたのは、ラーメンの匂いであった。ラーメンというか、湯(スープ)か。

入国審査を終えたところで旅行社の現地代理人に待たされた。ホテルへの送迎付きのツアーだったのだが、当局の規制とやらで送迎車が空港待ちできなくなったとかで、送迎車をしばし空港で待った。待っている間、フレッシュジュース売りにかにゃーり心を惹かれたが、まだ香港ドルを持って居なかったので買えなかった。残念。

送迎車が来たので乗り込む。大型観光バスに、乗っているのは数人。ほとんどが60才以上と思われる引退世代ばかりである。まぁ、平日だしな。
ここでガイドさん(複数のツアーの乗り合わせバスなので、このガイド氏はホテルへの送迎車内だけの人である)から色々な話を聞いたような記憶があるのだが、日が経ってしまったのでかなり忘れた。
多数のコンテナで埋め尽くされた港の横を送迎車が通った時、国際港としての香港について説明があった。ちょっと前までは、世界の船舶貨物貨物取扱数量でNo.1はシンガポール、2位が香港だったが、去年だか今年だかの最新調査で上海がトップに躍り出て、現在はシンガポールに次いで香港は第三位とのこと。
しかし今ぐぐると2009年版しかひっかからなくて、2009年度版だとシンガポールがまだ一位なのだが。でも2009年の時点で既にシンガポール、上海、香港の順位になっていて、1位と2位は非常に僅差なので去年は上海が1位になっていてもおかしくはない。
後、同乗者に香港ディズニーへ行く人がいないことを確認した後、ガイド氏「香港ディズニー、いいですよ、空いててpgr」とかなりくさしていた。ガラガラなので乗り物を乗りまくりたい向きにはオヌヌメだとか。
そんなこんなでホテルに到着。同期の嬢の希望でペニンシュラのはずだったのだが、埋まってしまったのでカオルーン・シャングリラ。
姐さんが2日目の夜にガイドブックに載ってる人気レストランの予約を入れたいとかで、ホテルのカウンターでアレコレ交渉していた。
あのバイタリティはすげーと思う。日本語通じない相手にアレコレ交渉するとか自分にはミリ。
到着初日の予定は、美食何とか賞とやらを受賞したメニューがあるレストランでの夕食と夜景観賞のオプショナルツアーである。
集合時間まで時間があるというので、3人でホテル最寄りの免税店へ。
入口でバラけて内部で単独行動。しかし当然のごとく、私は一通り冷やかして時間を持て余した。鞄にも時計にも宝飾品にも化粧品にも興味ないっす。胃袋の上に脳みそがついてるような低レベル人間なもんで。
しかたなく、ブランドエリアではなく、現地の銘菓やストラップなどの土産物がある辺りで時間を潰すが、広いエリアでもないので激しく手持ち無沙汰。
あんまり暇なので免税店の外に出てぶらつくが、外の店舗も、ホテル街や免税店がある通りなので、その類の店が多い。ヘタに外を単独行動して迷子になってもアレなので、最後の20分ぐらいは集合予定場所でMP3プレーヤーで音楽聞きながら突っ立っていた。

と、ここまでダラダラ書いてきたが、貴重な休日の時間を激しく浪費しているので後は適当に。

集合時間になってレストランに向かった。宿は半島だがレストランは島の方。写真3枚ともそのレストランで出た料理である。1枚目の海老の揚げ物はサクサクして非常に旨かった。2枚目はレンゲの形に成型した小麦粉成型焼成物に、フルーツが入った甘酸っぱい米とホタテが乗っているもの。まぁ、新感覚といえば新感覚。ヌーベルなんちゃらっぽい料理であった。ここの名物料理の3つめは鶏肉だったが、絵的に面白くないのと、ちょっと癖のある匂い(香辛料ではなく、日本人の感覚では「臭みがある」肉)で、私は完食したが同行者2名からは不評であったので写真は割愛。3枚目はハスの葉で包んだおこわ。旨かったがこれにもフルーツ(たぶん林檎)が入っていた。全般的に中華というより、かなりひねった感じの料理であった。
しかし、このレストランで激しく印象に残っているのは料理の味ではない。その寒さである。夕方になって日が落ちて、外気は22~23℃程度になっているのに、室内はたぶん15~18℃だったのではないだろうか。Tシャツと薄手の長袖だけの私はガクブルで歯の音も合わない。料理と料理の間が非常につらかった。
食事が終わり、夜景観賞ポイントであるレストランのすぐ横に向かう。
 ああ、外気のぬるみが心地いい
適温の外気に心が和んだ。

夜景については別稿で。
つーか12時になってしまった。昼飯を食わねば

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