言葉が思考を支配する
昨日の日記をちょっと読み返して気になった。
別に常日頃の日常で一人称俺とか使っているわけでは、もちろん、ない。
他人様から禄をいただくリーマンの身で、さすがにそんなフリーダムな生き方できるほど自由人ではない。
というか、おてんとうさまの下でそんな痛い人生を胸張っていられるほど強心臓でもない。ただ、ま、ネットだしたまにはいいよねーとか、そんな感じで特に意識せず流れで殊更に荒めで雑駁な言葉づかいをしたりする。
ネットだけでなく、日常業務でも本当にトサカにキたときなど、つい相手が直接聞いたら不快になるような言葉を吐いたりする。一応本人に向かって言わない程度のギリギリの良識は持ち合わせていても、「言わずにこらえて我慢する」ということが、時折ひどく難しい。
酷い言葉だ。しかし、胸に絡まるどす黒いものを言葉にして汚く吐き散らすことで、一時的に腹の中がすっとするような錯覚を覚えて、荒い言葉を吐くのをやめられない。
例えば。
悲しいことに日常茶飯事だったりするのだが、どう考えても理不尽な要求を他部署からごり押しされたりしたとき。
「それは道理に合わない。筋が違う」
と、相手のごり押しを胸を張って受け止めて滔々と理を説く度胸と説得力があればよいのだが。
たいていはその場では弱弱しく抵抗はするものの、結局押し切られて筋違いな業務を押し付けられる。で、席に戻って憤然と
「何様のつもりだぁ? 脳みそに虫沸いとんちゃうかあのド阿呆がッ 死にさらせクソハゲッ」
と吐き散らす。
うん、まぁ、実に小物である。悲しいね。無様である。悲しいまでに小心物の小物なのは事実なので、それは否定しない。
しかし、死ねとか、カスとか、ジジイとか、デブとか、味噌汁で脳みそ洗って出直してこいやボケがっ、とか。
汚い言葉が日常になって、慣れきって、ある日ふと気づく。
憤懣やるかたない思いを吐き出すためだけでなく、日常呼吸をするように荒々しい言葉が口をついて出ていることに。
これはよろしくない、大変よろしくない。
不快な言葉を日常絶え間なく吐き出し続ける、隔壁に穴が開いたどこかの壊れた発電所みたいな存在にはなりたくない。
お綺麗な言葉をいきなり使えるほど高尚なお育ちではないが、罵倒した本人に聞かれて恨まれるような物言いについては、吐き出す前に飲み込んで相対することができるようになりたいものである。


ステッパー23分
腕立て(ナロー)31×3
チューブローイング31×3
ヒップレイズ31×3
クランチ31×3
腹式呼吸10×3

先週までノースポールが粘っていたプランターを日曜日に始末して、ついにその3つ目のプランターにゴーヤとフウセンカズラを植えた。しかし60cmプランターに苗2つだとあまりに寂しいので(まぁゴーヤはどうせ鬼のように伸びるのだが)、隙間に3粒ほどルコウ草の種を撒いた。
今朝みたら、もう芽が出ていた(画像)。
日曜から2日しか経っていない。さすが気温が高いと発芽も早い。
あまりの発芽の速さに感動し、朝の忙しい時間にもかかわらず思わず写真を撮っていた。

個人向け国債は、結局5年ものを小指5本ほどいってみた。
本当は指5本ほど行きたかったが、種銭がそろそろ…
投資資金を全資産の何割までにするかについては、来週までに考えよう。
それまでは残った種銭で外貨が安いときにちょろっとMMF買うぐらいかなぁ。
そうだ。米ドルはどうも怖いので、ある程度の金額まで買い足したら、北米大陸へのリスク分散投資については米ドルからカナダドルに切り替えようかと思っている。


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